エリザベス・キューブラー・ロスの人生は廻る輪のようにを読みました。
子供からエリザベスへの手紙
「命って、何ですか?死ぬってどういうこと?どうして子供が死ななくちゃいけないの?」
それに対する返事。
「ほんの短い間だけ咲く花もあります
ー春がきたことを知らせ、希望があることを知らせる花だから、みんなから大切にされ、愛される花です。
そしてその花は枯れます
ーでもその花は、やらなければならないことを、ちゃんとやり終えたのです」
1970年代、エリザベス・キューブラー・ロスは世界的なホスピス運動の提唱者となり、6大陸20カ国以上を巡り、様々なホスピスや緩和ケアのプログラムを開始しました。
ヒーリングセンター
キュブラー・ロスは、自殺幇助(安楽死)は人が「やり残したこと」を完了するのを妨げると考え、ホスピスケア運動の中心人物の一人でした。
1977年、夫を説得してカリフォルニア州サンディエゴ近郊のエスコンディードに40エーカーの土地を購入し、「シャンティー・ニラヤ(安らぎのついの住み処(すみか))」を設立しました。
死にゆく人々とその家族のためのヒーリングセンターを目指していた。
エイズ対策
エリザベスは生、死、悲しみ、エイズに関するワークショップを世界各地で行いました。
1983年12月、彼女は広範囲にわたる旅行を減らすために、自宅とワークショップの本部をヴァージニア州ヘッドウォーターズの自分の農場に移しました。
彼女の最大の願いは、HIVに感染した子供たちのためにホスピスを建設し、彼らが死ぬまで暮らせる永続的な家を与えるという計画でした。
1980年代後半、エリザベスはバージニア州でこの計画を実行しようとしたが、地元住民はエイズを恐れ、エリザベスの計画を妨害しました。
1994年10月、彼女のエイズ活動に反対する人たちが放ったと思われる放火により、自宅と写真、日記、メモなどの多くの財産を失いました。
エリザベスは、獄中でのワークショップを開催しました。
受刑者と刑務所スタッフの両方が参加すること、というのが条件でした。
その条件を受け入れたスコットランドの刑務所でのワークショップは大成功でした。
立場の違いを乗り越えて、互いに対する真の慈しみ、共感、愛が生まれたのです。
また、エリザベスは長いこと南アフリカでの仕事は断っていたのですが、その理由は黒人と白人の両方が参加するという条件が保証されなかったからです。
ネルソン・マンデラが釈放されて、やっとその条件が保証されたため、南アフリカでのワークショップを行いました。
相違ではなく相似に基づく人間性の理解をもたらすことに成功したのそのワークショップは、大きな功績として語り継がれることになりました。
どこにいようと、全ての運命は結局のところ、成長、愛、奉仕という同じ一つの道に通じているのです。
神が人間に与えた最高の贈り物は自由選択である。
峡谷を暴風から守るために峡谷を覆ってしまえば、自然が刻んだ美を見ることはできなくなる。
命の唯一の目的は成長することにある。究極の学びは、無条件に愛し、愛される方法を身につけることである。
人生最高の報酬は、助けを必要としている人たちに対して心を開くことから得られるのだ。
最大の祝福は常に助けることから生まれる。
その真理はー宗教、経済体制、人種の差を超えてー、全ての人の日常経験に共通するものだとエリザベスは確信している。
私たちは等しく、無条件に愛し、愛されることを学ばなければならない。
人生に起こる全ての苦難、全ての悪夢、神が下した罰のように見える全ての試練は、実際には神からの贈り物である。
それらは成長の機会であり、成長こそが命のただ一つの目的なのだ。
まず自分を癒さなければ世界を癒すことはできない。
自然に死ぬまで生きなければならない。
一人で死んでいく人はいない。
誰もが想像を超えるほど大きなものに愛されている。
誰もが祝福され、導かれている。
人は自分がしたいと思うことしかしない。
一番難しいのは無条件の愛を身につけることである。
死は怖くない。
死は人生で最も素晴らしい経験にもなりうる。
そうなるかどうかは、その人がどう生きたかにかかっている。
死はこの形態の命からの、痛みも悩みもない別の存在形態への移行に過ぎない。
愛があれば、どんなことにも他合えられる。
どうかもっと多くの人に、もっと多くの愛を与えようと心がけてほしい。
永遠に生きるのは愛だけなのだから。
「人生は廻る輪のように」より
主婦起業コンサルタント。二児の母。「好きな時に、好きな場所で、好きなことをする!」がモットー。仕事と育児をバランス良く楽しみたい!福岡出身、千葉在住。
詳しいプロフィール→こちら☆
コメントを残す