逆光だけが人を強くする。教訓を学んだ時、苦痛は消え失せる。

人生は廻る輪のようにを読みました。

エリザベス・キューブラー・ロスはいつも人に期待されることより自分が正しいと感じたことを実行してきました。

エイズ患児のホスピスを作ろうとして殺されそうになったり、家畜が殺されたり、車をパンクさせられたり、しまいには放火されて家が全焼したり。

そんな艱難辛苦の中、キューブラー・ロスは言います。

 

誰だって生きていれば辛苦を経験する。つらい経験をすればするほど、人はそこから学び、成長するのだ。

逆光だけが人を強くする。

 

どん底まで落ちた人でないと言えない言葉だと思います。

 

人はいつも私に死とは何かと尋ねる。死は神々しいものだと私は答える、死ほど安楽なものはないのだ。

生は過酷だ。生は苦闘だ。生田のレッスンを課せられる。学べば学ぶほど、課題は難しくなる。

教訓を学んだ時、苦痛は消え失せる。

 

絶望したときに人ができるのは、拒絶し続けて責める相手を探すか、傷を癒して愛し続けることを選ぶかのいずれかである。

存在の唯一の目的は成長することにあると著者は信じています。

 

著者は世界的なベストセラーとなった『On Death and Dying』(1969年)『死ぬ瞬間 死とその過程について』の著者であり、ここで彼女は「キューブラー・ロス・モデル」として知られる「悲しみの5段階」の理論を初めて語りました。

 

マンハッタン州立病院で精神科医としてスタートした著者は、統合失調症の患者や、当時終末期の患者を指す言葉として使われていた「絶望的な患者」に直面している人々のための治療法の開発に取り組み始めました。

それは、患者の尊厳と自尊心を回復させるための治療プログラムです。

また、患者を過度に鎮静させる薬を減らし、患者が外の世界と関わりを持てるような方法を模索していました。

この頃、著者は精神病患者や死期の近い患者に対するネグレクトや虐待に恐怖を感じていました。

著者は、精神病患者や瀕死の状態にある患者が、病院のスタッフからほとんど気にかけられず、完全に無視されていることに気づきました。

この事実を知った著者は、患者の生活を改善したいと思うようになりました。

著者は、一人ひとりの患者さんに配慮したプログラムを開発しました。

このプログラムは非常に効果的で、患者の94%が退院しました。

 

 

別の病院の面接での著者の言葉があります。

「知識は助けにはなりますが、知識だけで人を助けることはできないと思います。

頭と、心と、魂を総動員しなければ、たった一人の人間も助けることはできないでしょう。」

 

その頃の多くの医師は死にまつわる一切の事柄への言及を避けるのが普通でした。

瀕死の患者は冷酷な扱いを受けていました。

しかし、著者は人間は薬剤や化学を超えて治る力があることを学んでいました。

コンサルテーションの仕事をするとき、著者は患者のベッドに腰掛け、手を握って何時間でも話し合いました。

瀕死の患者で愛やふれあいや交流を渇望していない人は一人もいないという事実を学びました。

1962年、彼女はコロラド大学医学部に赴任しました。

そこでキューブラー・ロスは、若手の教員として働きながら、医学生たちの前で若い末期患者のインタビューを初めて行いました。

彼女が意図したのは、病理学の例ではなく、病気と向き合い、それが人生にどのような影響を与えているかを理解してもらいたいと願う人間の姿を描くことでした。

「今、皆さんは科学者としてではなく、一人の人間として反応しています。

皆さんは死の床にある患者がどんな気持ちでいるのかがわかるようになるでしょう。

でも、それだけではありません。

皆さんは慈悲の心をもって患者に接することができるようになるでしょう。

自分がその立場だったらそう接してもらいたいような、慈悲の心です。」

 

死にゆく患者の言葉に耳を傾けさえすれば、生について無限に多くを学ぶことができるのです。

 

死とその過程について。

死を理解しようとする人の前に立ちはだかる一番大きな障壁は、おそらく意識が失われたら自分の命の最期は想像することもできなくなるということだろう。

だから、唐突に訪れる恐ろしい生の中断、悲劇的な殺戮、憎むべき病気の犠牲としてしか死を考えられなくなるのです。

いわば、耐え難い苦痛としての死です。

ところが、医師にとっての死は意味が異なります。医師にとって死は失敗であり、敗北でした。

著者は病院の誰もがいかに慎重に死の話題を避けようとしているかに気づかないわけにはいきませんでした。

この近代的な病院では、死は孤独で、寂寞とした、非常な出来kg音でした。

悪鬼の患者は決まって片隅の部屋に移されました。

別室では家族と医師が本人に告知すべきか否かを議論していました。

著者に言わせれば、問われるべき問題はただ一つ、「どんな言葉で伝えるか」だけでした。

 

 

医学の輝かしい進歩によって、人々は苦痛なしの人生、ペイン・フリーの人生が当然だと考えるようになりました。

だから、唯一苦痛が伴う機会である死をことさらに忌避するのです。

死は生の一部です。

生の一番重要な一部です。

最後の最後まで質のいい生を保つことができなければ、質のいい死を迎えることなどできはしないのです。

毎週定期的に「死とその過程」セミナーを開催し、終末期の患者とのライブインタビューを行うようになった。医療スタッフからの大きな抵抗にもかかわらず、彼女は学生たちを参加させた。

セミナーには病院の医師や大学の教職員は一人も参加しませんでした。

それは彼らの死に対する忌避感の表れでした。

しかし、医学生と神学生、ナース、牧師、ラビー、ソーシャルワーカーなど、驚くほど多くの参加者が集まってきました。

 

医師自身が自分の死に直面しようとしていない以上、患者に胸の内を語るチャンスがあるはずもありませんでした。

著者の目標は、患者の内奥の表現を禁じている、医療従事者の職業的な忌避感という壁を打ち破ることにありました。

四度の流産を経験し、二人の子供を産み育てた女である著者は、命の自然なサイクルの一部としての死をありのままに受容していました。

ですが、医師の大半は男であり、ごく少数の例外を除けば、死を失敗または敗北だと考えていました。

 

死に向かう患者一人一人が与えてくれた教訓は、煎じ詰めれば同じメッセージを伝えていました。

 

生きなさい。振り返って命を無駄にしたと後悔しないように。

生きなさい。してきたことを悔やみ、別の生き方を望むこのないように。

正直で、十分な人生を生きなさい。

生きなさい。

 

死が迫った患者の真の関心ごとは「死にではなく、生にある」

人の死に方がその人の生き方によっていかに大きく変わるか。

死に方、生き方とは心と魂の両方の領域、つまり心理的な領域と霊的な領域にわたるものでした。

 

著者はパワフルなんて言葉じゃ言い表せないほど情熱的で行動的な人。

子供たちに自然の美しさを教えたいと思った時、

思い付いたら待ってはいられなかった。思案は私の趣味ではなかった。すぐさま子供たちを学校から連れ出し、アメリカからスイスへ飛んだ。

とあるぐらい、判断が素早く、実行する人でした。

 

著者の母は植物状態になったら命を絶ってと懇願していました。それに対して著者は「死が自然に訪れるまで、ママを助ける」と答えました。

その後、実際に母が植物状態になりました。

 

「母は依然として愛を感じ、愛を与えていた。自分だけのやり方で、母は成長を続け、学ぶべき教訓を学んでいた。

人は学ぶべきことを全て学んだ時に人生を終えるのだ。

 

著者は数えきれないほどのボランティア活動もしていますが、そのうちの一つに「盲人のためのライトハウス(灯台)で盲目の子供や両親たちと過ごしていました。

与えることよりも与えられることの方が多い仕事だったと書いています。

 

娘が盲目で生まれた母親にこう言っています。

どんなに厳しい障害のある子供にも神から特別な贈り物が授けられている。

「期待を全部捨てるのよ」「お嬢さんを神からの贈り物として愛し、抱きしめるだけでいいの」

「そのうちに、神がお嬢さんに授けられた特別な贈り物が姿をあらわすわ。」

 

 

人生に保証はない。誰もが難問に直面する。

直面することによって学ぶようにできているのだ。

生まれた瞬間から難問に直面する人たちもいる。

全ての人の中でも一番特別な人たちだ。

その人たちは一番大きなケアと慈しみを必要としているが、命の唯一の目的が愛であることを思い出させてくれるのもその人たちなのだ。

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