私はいつも穏やかで優しい人とよく言われます。
喜怒哀楽の「喜」と「楽」は素直に出せるのですが、「怒」と「哀」が出せないのです。
押し込められているというか、コンクリートで固まっているみたいに、どうしても表に出てこないのです。
私にとって今も一番認識しにくい感情は怒りです。
私の中に怒りが湧き上がるのは、たいてい否定されたとか侮辱されたとか感じた時です。
でも、それでも自分が悪いせいだ、自分が至らないからだ、のように自分を責めてしまいます。
私は、自己主張しなければならない時に
- 怒りを飲み込み、
- 話し合いで相手をなだめ、
- 説得し、
- 「理解」を得ようとします。
これは、傷つきやすい子供が親に自分の要求をなんとかわかって欲しいと思う時、無意識にとる行動です、
私の場合も、捨てられるかもしれないと言う不安と恐怖があるゆえに、拒絶される可能性のある感情を抑圧してしまうのです。
例えば赤ちゃんに嫌いな食べ物を(栄養バランスのためといって)食べさせようとしたり、食べる気のない小さいお子さんに無理やり食べさせようとしたことがある人ならお分かりだと思います。
幼い子供が生まれつき強制に逆らう力があること、強制されれば不満の声を上げることをよくご存知だと思います。
それなのに、どうして私たちは親が望まない感情を飲み込んだりするようになるのでしょう?
これは生まれつきの性向ではなく、生きるために必要だからです。
以前も書きましたが、ここまで読まれた方は、子供が成長して何かの病気になるのは親のせいだという印象を受けたかもしれません。
しかし私はそんなことを言うつもりはありませんし、そのような考え方は科学的な研究成果とも相容れないものです。
父母が子供をどう育てるかは彼らの愛情とは全く無関係であり、もっと日常的な要素が関わっているのです、親の愛情は無限であり、それには極めて実際的な理由があります。
哺乳類の脳愛情に関わる部位には、無私無欲になって子供を養育することがあらかじめ組み込まれているそうです。
愛しいという親の「気持ち」が抑制されるとしたら、それはその親自身の心が深く傷ついているからです。
子育てに当たって、無条件に受け入れようとする親の気持ちが子供に伝わらないのは、子供が親の愛情を「親が伝えたいと思うような形で受け取らず、親の性格を通して屈折した形で」受け取っているからです。
親がストレスに晒され、未解決の不安を抱き、あるいいは情緒的欲求を満たされないで動揺していれば、子供は親の意図がどうであれ、「物理的には近くにいるのに情緒的には離れている」と言う状態になるのです。
私たちが子育てに臨む態度や行動の多くは、善かれ悪しかれ自分が子供の頃経験したことを反映しています。
親になってからの子供の育て方が、その人の幼少時の条件付けによって決定されることは、動物実験によっても、人間を対象にした綿密な心理学的研究によっても立証されています。
主婦起業コンサルタント。二児の母。「好きな時に、好きな場所で、好きなことをする!」がモットー。仕事と育児をバランス良く楽しみたい!福岡出身、千葉在住。
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