
私の両親は、愛してくれてはいたけれど、私は抑圧された環境に育ち、自分というものを持てませんでした。
常に親にコントロールされていたのです。
一から十まで指示されて。
自分が何をしたいか、自分は何者かということを全く考えることができませんでした。
常に否定され続け、もはや何もわからなくなっていたのです。
何かがおかしいとずっと思っており、6歳(!)の時から死にたいと思っていました。
高校では「人生は苦である」と聞き、全くその通りだと思っていました。
学校の図書館と地元の図書館の哲学、心理学、精神医学の本を読み漁り、それについて考えてきました。
大学でもそれらを学びたいと思って、その方面へ進学しました。
うちはおかしかったのです。
例えていうなら、親二人がドーンと大きく頭の上に居座っていて、私はその下で縮こまって、「指示されたことだけを聞いていればいいんだ」、と言われている、みたいな。
そのようにして育ちました。
もちろん反発はしましたよ。
3歳の時から反抗期でした。でも親は、私の反抗などものともしませんでした。
私は過大に期待されていた子供でした。
ピアノを弾けば将来ピアニストかピアノの先生になるように、英語を習えば将来通訳になるように、とにかく「手に職をつけて」「何者かになるように」、と育てられました。
そして、いつも人と比較されていました。
しかもすごい人の寄せ集めと。
勉強は〇〇ちゃんよりできるように、字の綺麗さは△△ちゃんより綺麗に書けるように、弟の面倒を見るのは××ちゃんよりよく見るように、ピアノは##ちゃんよりできるように、など。
「なんで~ちゃんはこんなにできるのにあんたはできないの?!』が母の口癖でした。
私の自尊心はどんどん削られていきました。
自分のことが大嫌いでした。
自分に自信がなく、いつも親の顔色をうかがい、親の希望に沿った言動をしているか、オドオドとしていました。
親が私のことを人に話す時、これでもか、これでもかというほど貶めているのがとても嫌でした。
でもしょうがない、私はそれだけダメなんだから…そんなふうに思っていました。
うちは特に成績には厳しい家でした。
トップでなければならなかったのです。
父も厳しい人で、「100点でなければ意味がない」と言っていました。
私が(平均点が低い難しいテストでも、私が学年で一番でも、)90点台を取ろうものなら、なんで100点が取れないんだ!と怒られていました。
両親ともに上昇志向が強い人で、私が頑張ってクラスで一番になっても、学年で一番になっても、「上には上がいる」と認めてくれませんでした。
全国で一番になっても、「世界にはもっと上がいる。もっともっと上を目指せ」と認めてくれることはありませんでした。
完璧でないとダメなんんだ。全方位に完璧でないと。
私の完璧主義、見栄を取り繕う性格はどんどん強くなっていきました。
そして、自分が本当は何がしたいのか、どんなことが好きなのか、全くわからなくなっていきました。
息が詰まるような子供時代を過ごし、大学は親元を離れて好きな勉強をしに東京に出ると決めていました。
大反対されましたけど。
親は私を手元に置いておいて、コントロールしたかったのです。
卒業後の就職は親元でするようにと言われていましたが、私には帰る気などさらさらありませんでした。
もうあの環境に戻るのはごめんです。
でも離れても、何年経っても、親の支配下から抜けることはできませんでした。
もう親元を離れて20年以上経ちますが、いまだに親の支配下にあります。
両親に認めて欲しかった。
特に母親に認めてほしかった。
私を見て!私を認めて!
ずっとそんな感じです。
大人になって、独り立ちして、結婚して、自分が親になっても。
私は自分の意見を言えない、わがままも言えない、「いい子」でした。
自分を認めてもらいたいがために、自分が本当に望んでいることを抑えつけてました。
私はいつも両親が望む通りの子になろうと一生懸命でした。

主婦起業コンサルタント。二児の母。「好きな時に、好きな場所で、好きなことをする!」がモットー。仕事と育児をバランス良く楽しみたい!福岡出身、千葉在住。
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